『アウトサイダー』読了。容疑者、検察、弁護士、刑事、探偵・・・みんな良い人なんだよな~。

読了した本の紹介というか、ま、備忘録です。

著者:スティーブン・キング
翻訳:白石朗
発行:文藝春秋
版 :2021年3月25日 第1刷

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さて、いつものように本書に記載されているあらすじと紹介文を載せておく。

<あらすじ>
 平穏な町フリントシティで少年の惨殺死体が発見された。だが刑事ラルフの目に、真相は明白だった。数々の目撃証言がハイスクールの教師であり少年野球のコーチであるテリーが犯人だと指し示していた。ラルフは彼が犯人だと断定、野球の試合のさなか、衆人環視のもとで逮捕する。テリーは否認を続けるも、逮捕の一幕を目にした街の人々は殺人犯への怒りと憎しみをもやし、テリーの妻と娘たちにも冷たい目が注がれはじめた。そのとき衝撃的な事実がもたらされる。事件があった夜、テリーは同僚の教師たちと遠い町での講演会に出席しており、それを裏づける動画も発見されたのだ。一人の人間が二つの場所に同時に存在した?そんなことはありえない。だが、テリーがあんな残虐な事件を引き起こすだろうか?
 とまどうラルフ刑事をよそに、町民はテリーを町の歴史はじまって以来の異常殺人犯とみなし、新たなる悲劇へのカウントダウンが。恐るべき緊迫感がページを繰るたび高まってゆく。矛盾する証拠が心優しい教師テリーを追いこんでゆく。読む者の心を不安と恐怖で締めつける前半。この不可能犯罪の背後に何が隠れているのか?恐怖の帝王が容赦ないスピード感で物語を臨界点に向けて疾走させてゆく!
<オビ 紹介文>
今度のキングは容赦ない。初期傑作を思わせるスピード感。小さな町で起きた惨殺事件の犯人は何者か?無実を訴える高校教師の身にふりかかった悪意の正体とは?
新たな黄金時代にある巨匠キング。田舎町を丸ごと襲う災厄を描いた大作「アンダー・ザ・ドーム」以来、感動のタイムトラベル大作「11/22/63」、アメリカ最大のミステリー賞を受賞した「ミスター・メルセデス」、「シャイニング」の続編「ドクター・スリープ」と、往年の一大娯楽路線に原点回帰した傑作を連発しています。不可能な惨殺事件の犯人として逮捕された高校教師の物語としてはじまる本書、いつも以上のサスペンスと疾走感の行きつく先にあるのは、「IT」や「呪われた町」を思い出させるキングの真骨頂。この恐怖と不安は、キングにしか描けません。一気読みの準備をしてお臨みください。

<あらすじ>
 裁判所の悲劇で惨殺事件は幕を閉じた。しかしラルフの気持ちは晴れない。あの日にテリーが遠い町にいたことは証拠が示していた。ならば犯行当夜にテリーを見たという証言は何だったのか。血まみれの服で言葉を交わしたのはテリーではなかったというのか?ラルフは別の署の刑事ユネルと探偵のホリーの手を借りて、密かに再調査を開始する。新たな証拠、新たな証言が、新たな不可解をつぎつぎにラルフに突きつける。そしてついに、彼らは同じような事件が過去に複数起きていたことを突き止める。同様の惨殺事件。無数の証拠が指し示す「犯人」。しかし逮捕された容疑者は犯行を否認する・・・。テリーだけではなかったのか。テリーの幼い娘の前にあらわれた「目の代わりに藁がついている男」は現実のものなのか?ユネルが言う、メキシコの伝承に「エル・クーコ」というのがいる。それは黒い袋を持った黒い男、子供を犠牲にする悪鬼ー
 ついに恐怖があふれだす。アウトサイダー。エル・クーコ。そいつはまた子供を殺すだろう。その正体を知るのはラルフたちしかいない。読む者の心を苛む恐怖と、それに戦いを挑む勇気。「呪われた町」「IT」などの初期に回帰したかのごとく巨匠がフルスロットルで描き出すノンストップ・モダン・ホラーの登場。
<オビ 紹介文>
いざ闇の底での戦いへー。不可解な惨殺事件を追う刑事と探偵。すべての謎を結びつける邪悪が浮かび上がる。「IT」「呪われた町」の系譜を継ぐ、これぞキング流ホラー。


まずは全体的な印象を。
1.キング長編にありがちな序盤はゆっくり、途中から(後半3/4くらい?)ジェットコースターのように急降下という展開が、本作ではオープニングからアクセル全開。

2.上巻終盤に登場する大好きキャラ、ホリー・ギブニーが大活躍する下巻最高。

3.超自然的現象による不可能犯罪について語られているが、見方を変えれば冤罪の発生や現代の法制度に対する遠回しな問題提起ともとれる。

4.「善」と「悪」の戦いともとれる本作だが、初期の名作「IT」や「ザ・スタンド」のようなハッキリした善悪よりもむしろ『生存のために活動する何かのイキモノ』がたまたま「悪」として描かれているというイメージ。



カバーについて
今回も藤田新策氏によるカバーイラストが素晴らしい。
冒頭にあげた写真は宣伝オビ付の書影。
そのオビを外してみると、実は墓石が沢山並んでいるのが分かる。

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「実体のないアウトサイダー(マントとフードで姿が見えない)が、列車という移動手段を用いて(本作中では盗難車両)、累々と積み上げられる被害者(墓石)を増やしていく」というイメージだろうか。
月明かりが照らしているのが現在なら右に行くにしたがって暗くなる墓石は何十年も前の被害者のモノだろうか・・・

ちなみに、出版社が新刊発行の時に挟み込む「新刊案内」には本書がこのように簡略に紹介されている ↓。

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悪意に満ちた「それ」。
今回はメキシコの民間伝承「エル・クーコ」として登場している「それ~IT~」。
厳密には「IT」で語られる悪とは異なるが、人間の負の感情をエサにして生きながらえるというところが共通しており、それに対抗しうるのはホリーのような欠陥のある人物。
いや、欠陥と書いたが、常々全ての人間は健常者ではなく障がい者だと考えている。
手や足の欠損があってもパラアスリートとして注目される人は居るし、眼鏡がなければ視力に問題ある人はゴマンといる。

それは知的・精神障害にも言えることで、軽微なものから重篤なものまであるが、「この病気だから不幸」というわけではない。その症状に対して向き合って日々を生きていく方法を見つけることこそ人生なのかもしれない。
ちょっと脱線したが、読書中に気になったことを記しておく。


☆踊らされているとはいえ、アホな行動に走ってしまうキャラが登場。
今回はフリントシティ市警察の刑事、ジャック・ホスキンズ。『ニードフル・シングス』のキャッスル・ロックの市民ほぼ全員、『シャイニング』のジャック・トランス(同じジャックだ♪ そして酒好き)なども愛すべき「アホキャラ」だ。ジャック・ホスキンズについても相手が悪かった。そして普段から上司を憎む負の感情につけいれられてしまったというところか。

ジャックトランス

☆いつものキング作品とはストーリーの進行速度が全く違う。
すなわち、序盤では登場人物の紹介的シークエンスが多く(しかしその中にたくさんの伏線が散りばめられていたり、キャラクターの個性を決定づけたり、重要ではあるのだが)、全体の6割を過ぎてから一気呵成に語りあげられて怒涛のエンディングになだれ込む・・・というのが定石なのだが、今回は違う。
なんたって容疑者として拘束された主人公(いや、最初主人公だと思っていただけで、実はちょっと重要ないち登場人物でしかない)が全体の2割ほど物語が進んだ時点で、あっけなく死亡する。これについてはちょっと驚きの展開だった。小説のオビに書かれた文句ほどはストーリー展開を読めていたにもかかわらず、だ。

☆前項で主人公だと思い込んでいた登場人物がいたが、同様に上巻最後の数ページになって登場したキャラクターが実は重要な役割を演じる、ということが分かる。
そして、この人物こそ「ビル・ホッジス三部作(トリロジー)」に出てくるホリー・ギブニーである。ホリーはミスター・メルセデスに登場したころからの大ファン。キング作品では同一人物(あるいは名前が同じでも違う人物)があちこちの作品に登場することが良くあるが、ホリーの登場は予期しない嬉しい出来事だった。
ま、本書を読む前からドラマ化された本作にホリーが登場するので、知ってはいましたが。

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キング作品に登場する人物ではいわゆる「障がい者」あるいは「社会生活不適合者」が大活躍するというパターンが多い。
ホリー・ギブニーはうつ病を患っているし、『ドリーム・キャッチャー』のダディッツはいわゆる知的障碍児。もっと軽い(?)障害で言えば『ニードフル・シングス』のポリーはリウマチに悩まされているし、『キャリー』のキャリー・ホワイトは狂信的な母親から宗教教育という名の言葉の暴力にさらされている。
で。
そんな彼(女)らが大活躍(あるいは大災害を引き起こす)するのだから、胸がスカッとする。いわゆる「まじめな」「仕事で成功している人」「ルールを遵守する人」ではなく、ちょっとレールから外れている人がむしろ、本来の人間らしさを持っているのではないか、とキングが語りかけているようにも思う。

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☆ダークタワーシリーズとのリンク。
様々なキング作品に影響を及ぼしている「暗黒の塔」。本作でもそれは明らかで、本文中に「シェイプシフター」という表現は何度も出てくるし、「荒地」という単語も出てくる(ダークタワーシリーズ第2作の副題と同じ)。超自然的なテーマをキングが語る時、その謎は結局「異世界/中間世界」から侵入してきた怪物によるものが引き起こす。ま、そうすることによって不思議現象が「なんでもあり」になっちゃうわけだから、キング的には便利な打ち出の小槌なわけだ。



☆悪人は登場しない。
冒頭、少年殺しの容疑をかけられたテリー・メイトランド、それを追う刑事ラルフ・アンダースン、殺害された少年の家族(特に弟を殺された恨みを持つオリー・ピーターソン)、弁護士、検察官・・・等々、全ての人が悪人ではない。ストリップクラブの用心棒であるクロード・ボルトンでさえも。悪人でないだけでなく、それぞれの事情でそうせざるを得なかった人物ばかりで、キャラクター的には好感を持てる人ばかり。
結局、謎の強大な「悪」だけが悪さをするだけであり、それを「どんなキャラ」が「どんな方法」で退治するか、が見ものである。

☆序盤、テリーが容疑者として逮捕されるが、それまで彼と懇意にしていた住人が手のひらを返すように敵対視する。
現代の我々にも言えることだが、刑が確定せず容疑者として捕らえられた人物に対して必要以上に攻撃するというのは、現代の(あるいは人間社会の)問題として常に留意しなければならない問題ではないかと感じる。目下のホットな話題としてはロシアによるウクライナ侵攻問題がある。世の大勢はロシア→悪者、ウクライナ→侵攻に耐えるヒーロー的な捉え方をしているが、本当にそうなのか?もちろん戦争を仕掛け、一般市民を傷つけていることが良いことだとは言わないが、一方の立場に立ってばかりいては理解を誤ってしまうこともあるのではないか?と危惧している。特にマスコミは右と言えばすべてが右を向く(ようなきらいがある)。他方ではSDGsや個人主義など多様性をおもんぱかっているようなマスコミが、全て同じ方向を向くのは良いことなのか?



書いたように本作品はドラマ化もされている。
自分は第1話のみ無料視聴で鑑賞した。

予告映像を貼っておく。

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aquavit103

Author:aquavit103
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丙午生まれの♂。
40歳から始めた自転車に乗り、20歳で出会ったRIOTというバンドを愛し、14歳から読んでいるスティーブン・キングの本を読むことを至上の喜びとしています。