映画『ペット・セメタリー』を観てきました。原作、旧作に忠実に。だけど唯一異なる部分がコワイ訳。

ペット・セメタリーです。

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原作はキングが著した小説ですが、彼自身出版するべきか否か迷ったほどの問題作。
という説明は映画の紹介文にも記載されているので知っている人も多いでしょう。

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問題作である理由は、ズバリ「死」そのものと死者の復活を描いているから。

映画第1作は89年に日本公開されましたが、2020年版も基本的にストーリーは同じです。

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[同様の設定]
* 主人公の職業
* レイチェルの姉ゼルダの思い出
* 交通事故死した大学生のアドバイス(というか、警告)
* 愛猫の死と埋葬
* 死を子どもにどうやって説明するのか(小さい子を持つ親にとって永遠の命題)
  などなど。

しかし2020年版で明らかに設定変更した部分があります。
生き返らせようとする子どもは、言葉の拙い2~3才の弟ではなく、死の概念を理解することが出来る(かも知れない)9才の姉。
せっかくトレーラーに轢かれそうになるゲージが助かった!と安堵したのに、次の瞬間姉のエリーが事故に遭うんですから・・・

ここに大きな違いがある。
娘エリーが死んで、悲しみの余り生き返らせようとする父親。
帰ってきた娘は、しかし、感謝の言葉は口にしない。
母親から教わった「死者は天国で安らかに過ごす」ことがウソだと知っているからだ。
死後の世界は宗教観で語られるような、少なくとも善行を行ってきた人たちにとっての幸せな場所ではなく、地獄のような苦しいところ。安らかに眠らせるのではなくそこへ自分を追いやった父親に対する憎しみを伴って再生したのが娘の姿をしたナニカ。

物語は愛するがゆえに生き返らせようとする家族の愛と死に対する概念の中で揺れ動く人間の心情を描いている。
しかし、自分が最も恐ろしいと思うのは、レイチェルとゼルダのシークエンス。
重篤な病に苦しむ姉ゼルダを看護する妹レイチェル。しかし、心の奥底では日々病気が悪化して醜悪な姿に変化していく姉を居なくなってほしいと思っている。
姉が亡くなるのは妹が1人で留守番をしている時で、一生姉を殺したのは自分だという自責の念に苛まれる。
程度の差こそあれ、人間には誰にも言いたくないこのような体験があるのではないか。
そして、ストーリーが進むにつれ家族に殺されるレイチェルはある意味姉からの呪縛から解放されたのではないか、と思っている。
そういう意味では無理やり生きかえさせられて幸せだったのがレイチェルかな。



時間軸を完全に無視することが出来れば、本作で語られる「復活して根源悪に取りつかれた」人物がその後強い力を得ることにより、暗黒の塔の黒衣の男やニードフルシングスのリーランド・ゴーント、ザ・スタンドのランドル・フラッグのような存在が生まれたのではないだろうか。
本作の舞台も架空の町デリーの近くのようだし。
***
それにしても、平日の朝一番のロードショーとはいえ、およそ300人以上収容の映画館で観客はわずか3人だった。
いや、ま、確かにホラー映画だし、昔の映画のリメイクとはいえ、少なかったな~。
昨年公開されたITドクタースリープとの違いは、やっぱり宣伝費かな?(笑)
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<追記>
エントリー作成中に思い出したが、その昔「ペット・セメタリー2」という映画があったな。
ターミネーター2に出ていた子役エドワード・ファーロングのPR映画のような作りで、あんまり面白くなかったな。
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aquavit103

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丙午生まれの♂。
40歳から始めた自転車に乗り、20歳で出会ったRIOTというバンドを愛し、14歳から読んでいるスティーブン・キングの本を読むことを至上の喜びとしています。