【ハーマン・ウォークはいまだ健在】
作者の作品メモによれば実際に起きた事故を題材にしたもの。
子どもたちを連れてキャンプから帰る女性ドライバーが逆送したうえSUV車に衝突。
運転前は元気にふるまい酒気も帯びていなかったのに解剖すると大量の飲酒及び麻薬摂取の形跡があった。
車中で何があったのか分からないが、これをもとに
キング調に仕上げた作品。
故郷を逃げ出したシングルマザー2人が宝くじで小金を得て、レンタカーで走行中に事故るお話し。
詩の朗読会へ向かう老詩人カップルがそれを目撃。
さて、どのようにして事故が起きるのか・・・
【具合が悪い】
キングが小説を書くとき、だいたいのアイデアが見えていても最後の結末は本人にさえ分からないことが多いらしい。
本作は結末がはっきり分かっている状態で書いた数少ない作品。
キングが言っている『わたしにとって幸いなことに、
この話は読者が語り手に一歩先んじてもかまわない作品である』
具合が悪いと言い続けて早何か月??
やっぱり彼は飛行機が嫌いなんだな~。
【鉄壁ビリー】
キングが熱烈な野球ファン、
それもレッドソックスの信奉者というのは比較的有名な話しだが、野球に関する作品は多くない。仕事と趣味は別ということなのかもしれない。
少しオツムの弱い選手のおかげで弱小チームの人気が上がる。
キャッチャーとして試合に先発する『鉄壁ビリー』は、突進してくる自分より大きい選手からホームベースを死守する。
しかし実際には彼の名前はビリーではなく・・・というお話し。
ちなみに彼の背番号は・・・19。
そしてナイフに気をつけろ、昔ながらの読者諸氏。
本編はスティーブン・キングの物語なのだ、とどのつまりは。
【ミスター・ヤミー】
舞台は老人ホーム。
一見関係ないようだが、この話しを読むとそうではなさそう!と思えてくる。
気になるのは(異性愛者だろうが異性愛者だろうが)女性目線で書かれていないこと。
【トミー】
キングの青春時代である60年代を書いた作品。
純文学っぽい。
題名から『地中から突き出ている何かにつまずいて世界の破滅が始まる』トミーノッカーズを思い出した。
【苦悶の小さき緑色の神】
冒頭キングは、『わたしは告白小説を執筆しているつもりはない』と述べている。
そりゃそうだ。
まるであのおぞましい物語『心霊電流』かクトゥルフ神話のような経験をしていたら、今ごろ人間でいることを止めることは免れたとしても、小説家は続けられないのではないか?
自身が経験したのは事故に巻き込まれて苦痛を伴うリハビリをしなければならなかったこと。
それをこうして一つの作品のアイデアにしちゃうんだからすごい。いや、むしろ事故復帰後の作品の量も膨大で、作品の幅も広くなったのだから転んでもタダで起きない小説家だな。
そして結末もおぞましい。
たまたま気づいただけだと思うけど、作者が無意識に多用するきっかけでもあったのかな?
【異世界バス】
これまた興味をそそる題名。
広告代理店へプレゼンに向かう男(タクシーが渋滞で遅れそう)が、隣りのバスで起きた殺人を目撃する。
果たして警察へ通報するべきか?それともプレゼン優先するべきか?
アイデアの元はキングの実体験によるものだが、誰でも一度は経験したことがあると思う。電車内でのマンウォッチング、そこからその人の職業や境遇を夢想する。
自分は面白い人材がいると、時々アフレコやってます。行動に合わせてセリフを言わせるんですね、心の中で(笑)
さて、物語の主人公はアメリカ国内の移動とはいえ飛行機を利用します。自分も海外へ行くときは早めに空港に行ったり、書類の不備がないかとか、とにかく往路は落ち着きません。
機上の人になってしまえば到着までワインと映画鑑賞(時々仕事のフリ)で時間を潰すのですが。
それでも予定通りスケジュールが進まない時は焦るんですよね。
それにしても馴染みのない土地とはいえ、バスで起きたことを異次元の出来事とは考えないよね。それとも地元民に任せとけという感覚でしょうか?
【死亡記事】
キングが子供のころに見た仏映画『悪魔のような女(1955)』では浴槽から立ち上がる死んだ女の描写があるらしい。
取りも直さずこれが名作シャイニングのワンシーンになったんだな。
さて、『砂丘』は受動的なデスノートと書いたが、こちらは能動的。
ただ、ノートではない。マイク自身に備わった(?)能力。
決定的に異なるのは『名前』の数。
欧米では名前の種類なんて数千もないでしょう。
それに比べて日本の場合、漢字異体字も含めれば何十万種。
本作では死亡記事を書くだけで人を殺せるというのに加えて、書くたびにレベルアップして似ている名前の人も死んだりする。さらに怖いのは最初限定的だった影響が及ぼす範囲も徐々に広がっていく。
また、個人的に感じるのは相変わらずアメリカの社会問題を語るのがうまいなということ。他作品でも貧困、宗教、格差、差別、プライバシー、殺人、看取りなど多岐に渡る問題を扱っている、それも自然に。
本作ではプライバシー保護もそうだし、報道の在り方についても考えさせられる。特に近親者による性的被害について被害者が多いという驚きは、日本でもゼロではないがこんな身近にいるのか!と思わせる。
【酔いどれ花火】
父親の死亡保険金で小金を持つ生粋ヤンキー母子と裕福なイタリア系ビジネスマンが毎年1回、インディペンデンス・デーに行う花火合戦の話し。
結局両者とも別荘を失うことになるのだが、やはり最後に勝つのはホントの金持ちってことだな。
ヤンキー息子とインディアンの会話にあったのが、ヤンキーもイタリア人も結局外からきたアメリカ人だということ。
警察で事情聴取を受けるヤンキー息子の独白でほとんどが占められているが、いかにもな言い回し満載で楽しい。
冒頭母親の言い回し。
『ウデは立たないくせにナニばかり立つ』とか『匠(たくみ)を装うのが巧み』というような訳を見ると楽しくなりますね。
ダークタワーシリーズの『鮒産道』を思い出しました。
静かなイメージの作品。
核に汚染された地上に残された中年男性と犬、そして隣人。
いわゆる終末を描いたお話しだが、恐怖や戦慄というよりも、ただ静かな世界が徐々に閉じていく感じ。
同じく終末を描いた(原因は異なるが)ザ・スタンドとは全く違うタイプの作品。
作品集の最後を締めくくるには最適。
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