さて、久しぶりに読書感想文をアップしようと思います。
実はキング作品も並行して読んでいるのですが、ひょいと手に取った『
きりひと讃歌』が面白すぎて(再読にも関わらず)一気読みしちゃいました。
ちなみに収蔵しているモノは小学館文庫版の初版 第2刷(1995年2月10日):第1巻。
第2巻は同 初版 第4刷(1995年9月1日)
第3巻は同 初版 第4刷(1995年10月1日)
【あらすじ】
さて。
あらすじを書こうと思ったが、無理(笑)。
なぜって、それぞれのエピソードに登場人物の深い人間像や世相を反映させていたりして、考えさせられるところが多い。
作中で語られる時系列の期間はわずか2年弱であるが、その中に濃厚な人間ドラマが語られていてさらっと書けるものではない。
それでもどこかに簡潔に語られたページがないものか他力本願で探してみたところ、「楽天ブックス」のページに比較的短いものがあったので、一部抜粋させてもらいます。
- 人間がだんだんと、犬か狸のような姿へと変わり果ててしまう不治の病「モンモウ病」。M大医学部付属病院では、内科医長の竜ケ浦を中心にモンモウ病の研究が行なわれている。しかしその内部では、モンモウ病についての意見が対立しており、伝染病説を説く竜ケ浦は、風土病説を唱える桐人を疎ましく思っていた。そこで竜ケ浦は、どす黒い企みを胸に、モンモウ病の論文をまとめ終わった桐人に、その患者が多数発生している犬神沢村へ発つよう勧める(第1話)。
- 桐人がやってきた犬神沢村は、深い雪に閉ざされた片田舎であり、住民もまた閉鎖的である。彼は着いた翌日から早速調査を始め、町外れの「あかずの小屋」でモンモウ病患者を発見する。その患者は、なんと前日に村から彼へあてがわれた「たづ」という娘の父親だった。彼の診察を済ませ、桐人はふもとの町に薬を買いに出るが、その途中で1人の男に襲われる。桐人の一挙一動は、住民たちによって全て監視されており、彼を陥れようとする計画が影で進行していたのだ!(第2話)。
あれ、全20章の作品なのに、ここに書かれているのは2章までだ。
やっぱり簡潔になんてまとめられなかったわけね(笑)。
【ワタクシ的感想:ネタバレあり】
*プロローグ。いかにも
白い巨塔的なスタート。同作からの影響を受けていることは手塚自身も自ら告白している。いわゆる「封建的で権力志向の強い医者」が患者の(患者だけでなく周辺のあらゆる人間の)命を顧みず這い上がろうとしていく。というところが本作の原動力となっている。
*登場人物のキャラの濃さ。
キングの作品並みに(笑)各々のキャラの性格や背景を巧く表現している。小説では登場人物の性格を表すために子供のころのエピソードや日常のしぐさなどを細かく描写しているが、漫画の場合、事物を描く線でもある程度の表現ができる。そこに表情や擬音、背景描写なども加わって濃いキャラが出来上がっていくわけだ。
ちょいと主な登場人物だけでも抜粋してみたい。
①竜ヶ浦教授。名声を求めるあまり、自身のライフワークであるモンモウ病の原因究明をも見誤ってしまう。最終的には研究結果の反証をあげられ、自身がモンモウ病に罹患してしまう。

②小山内桐人。竜ヶ浦教授の画策によりモンモウ病に罹患させられ、加えて病院から除籍される。終盤竜ヶ浦教授に対する復讐を成就するが、すでにその直後には復讐それ自体に興味を亡くしていたのではないか。

③卜部。小山内の同僚。実践派の小山内に対して研究肌の卜部。お互い相手の力量を評価して2人3脚で切磋琢磨するも、病院内での政治的な立ち回りがうまかった。しかし、段々己の良心に呵責を覚え教授に反発。作中、初期から精神分裂症気味の異常行動が目立つ。例えば小山内の婚約者を手籠めにしてしまうところなど。

④万大人。台湾の富豪。モンモウ病の小山内を見世物にするために誘拐・拉致・監禁。彼自身貧困層の出身で医者に家族を見放された経験を持つため、絶対に医者の世話にはならなかった。自身がモンモウ病に罹患しても公にしなかったため、日本へ移送され治療を受けるがあっけなく死亡。

⑤たず。小山内がモンモウ病調査のために訪れた犬神沢村で娶った女性。短い間だったにもかかわらず小山内を献身的に看護。特にこの時代様々な
差別に対する偏見やいじめが横行しているのにも関わらず「犬のかおになったってあんただよ」と言って、小山内を愛する。
*様々な社会問題を内包した作品。
人種・障がい・宗教・国籍・貧困・出立・社会的地位・・・・
様々な理由で虐待・殺人・誘拐・拉致・虐殺・いじめがはびこる人間社会。
先に挙げた登場人物ももちろんそうだが、それ以外のサブキャラも問題を抱えて悩んでいる。
2020年の現代においても表面上は取り繕っていても一向に解消されない問題。
いや、むしろ今は皆が正義感の旗のもとに他者を攻撃するという傾向が強く、当時にもまして将来に不安を覚える時代になっている。
手塚治虫は漫画で様々な作品を残すことによって未来が少しでも良くなれば・・・と思っていただろうに。
*ブラックジャックとの関係
本作は
手塚治虫の代表作と言ってもよいブラックジャック(以下BJ)の少し前に上梓されたもの。
当時手塚は若い力のある漫画家の台頭によりスランプに陥っていた(それでも書き続けたところが誰かさんとは違うが(笑))ものの、本作を糧としてBJのヒントを得たのではないかと考える。
もちろん1話完結のBJでは根底にある医療ドラマとは別に様々なテーマを扱いやすかっただろう。作風も
きりひと讃歌のように重くなく、適度にギャグもちりばめていたからこそのヒットだったと思う。
しかし、医療の「政治利用」を描いた本作と、医療の「限界と夢」を描いたBJは表現方法こそ違えど、
手塚治虫その人が求めた「医療の向上」や「医療が神の領域に達することの是非」を表すための作品という意味では非常に親和性の高い両作ではないだろうか。
【作品解説について】
本書1巻に寄せられている解説、というか「エッセイ」と銘打っているが、
養老孟子氏による文章が面白い。
自らが医者(解剖学者)である同氏は同様に医学を学んだ手塚をしてこう評している。
「
手塚治虫の見ていた医学界は、私が医学の世界で育ってきた、ほぼ同じ時代の同じ医学界である。ただ
手塚治虫は、徹底的に権力志向を嫌った。(中略)
手塚治虫が医学を学び、学位まで取りながら、漫画を描き、漫画の世界に没入したのは、そのためであろう。」
養老氏も同じように権力を嫌うという立場を表明しながらも、彼独自の解釈である「結局、人間が作り出した社会も金も権力も脳が生み出したもの」と論じている。
加えて権力は現場とは離れた場所にあり、医学が持つ難点であると。
このエッセイを手塚治虫が読んだらどう感じたのだろうか。
そんなことを思いながら本作を読むと面白いかもしれない。
そして最終的には手塚作品の永遠のテーマである「生命」を讃えながら幕を閉じる。
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